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スポーツコラム 【46話.引退を決意。充実感あり、未練なし 古賀稔彦】

1992年バルセロナ五輪、柔道71キロ級で金メダル、世界選手権でも3度優勝し「平成の三四郎」とよばれた古賀稔彦選手(32=慈雄会)が25日、熊本市内で記者会見し、「競技者ではなく、一人の柔道家として道を歩んでいく決意をした」と話し、現役引退を正式に表明しました。四大会連続の五輪出場を目指した古賀選手は今月2日の全日本選抜体重別選手権81キロ級で1回戦負けし去就が注目されていました。
4度目の五輪代表入りに失敗し。それでも、即座に現役引退は決断できなかった。「自分で次の自分を選びたい」と揺れた。今月12日には「柔道をしたい気持ちが出てきた」と稽古まで再開したが「現役に未練があるわけではない。次に目標が決まれば、その目標に向かっていく」とも発言していた。
スーツ姿で会見場に現れた古賀選手はすっきりとした顔つきだった。心境を問われ、「アトランタ五輪で敗れた後の4年間は充実した柔道人生を送れて幸せだった。シドニーを逃したのは残念だが、腹いっぱい競技者をした。未練はない」と話した。2日の選考会当日から引退がささやかれていたが、自分の納得する形で結論を出したかったため、時間がかかったそうだ。結局、気持ちの整理をつけるまでに2週間。先週末には関係者に引退の意思を報告。母愛子さんは「きのう(23日)夜に本人から、もしかしたら現役をやめることになるかもしれないと電話がありました」と明かした。 最終的に決断したのは約2週間前。家族との語らいの中で決めたとか。。。
今後について「柔道は僕にとって教科書。ページをめくるたびにいろんな質問が出て、自分で挑戦したくなった。僕を必要としてくれる人がいれば、柔道を通してお手伝いしたい」
「私の美学でもあった自分の得意技で一本勝ちできる選手を育てたい」と意欲を示した。
所属はこれまで通り社会福祉法人の慈雄会に置く。重圧のかかる選手から離れたわけですが、早くも第2の柔道人生には意欲満々のようです。

思い出の試合としては、けがをおして金メダルを獲得したバルセロナ五輪ではなく、初の世界王者になった1989年世界選手権と「初めて試合の怖さを知った」として初出場の五輪で敗れたソウルをあげた。あの豪快な背負い投げは、もう見られません。90年代の日本柔道界を支えてきた「平成の三四郎」が、現役生活に区切りをつけました。
古賀選手は1988年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタと3度五輪に出場。切れ味抜群の背負い投げを武器に、バルセロナでは金メダル、アトランタでは銀メダルを獲得。日本が世界で勝てなかった期間、五輪舞台で結果を出して日本柔道界を支えてきました。

強いこだわりを持つ五輪への道が絶たれ今、引退を決意ましたが、本当に長い間ご苦労様でした。 2000/4/30




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