スポーツコラム 【67話.攻めに攻めて頂点へ! 井上康生】
全日本柔道選手権(4月29日、日本武道館)は、シドニー五輪男子100キロ級金メダリストの井上康生選手(22=綜合警備保障)が決勝で、4連覇を目指した篠原信一選手(28=天理大教)を攻め続けた末に優勢勝ち。3度目の対決で初めて勝ち、悲願の日本一に輝きました。
右の引き手を封じる頭脳戦から積極的に技を出して旗判定3―0で完勝し柔道ニッポンの主役交代。いよいよ井上時代の到来という印象を受けました。これで世界選手権(7月26〜29日、ミュンヘン)男子代表が出そいました。
篠原選手のパワーを封じたのは、組み手でした。昨年決勝は、間合いを保つため釣り手の右腕を突っ張ったが、今年は同時に左(引き手)を使い右(引き手)を封じ。押し負けることなく、逆に動き回って技を出した。4分すぎには大外、大内刈りを連発した。終盤には大内刈りで体重差32キロの王者をぐらつかせた。
平成10年、昨年と決勝で完敗し「僕にとって(世界)最強の人」という篠原との決勝戦。2週間前の練習中に右太ももの付け根を肉離れし、痛み止めを打っての出場だったが、何としても篠原選手に勝ちたい、という一念が痛みを吹き飛ばした。
赤い旗が3本。念願の優勝を決めた瞬間、しゃがみこんだ井上の目頭から、熱い涙が流れ出た。亡き母に捧げたシドニー五輪金メダルでもみせなかった感激のポーズ。「頭が真っ白になった。小さいころから大きい人、強い人に勝ちたいと思い続けてきた。最強の人とやれるチャンスをモノにしたかった」と、気迫の勝利でしたね。
五輪後、あいさつ回りなどのストレスから心臓神経症を発症。十分な練習時間を取れず、メダリスト特有の“燃え尽き症候群”にも悩まされたが、今月1日の選抜体重別決勝で兄・智和選手(25=警視庁)と対戦。必死に攻める兄の姿に原点を思いだし「ふっ切れた」という。「精神的にたくましさを感じた」とは、恩師の山下泰裕・全柔連男子強化部長(43)だ。
“最強の人”を破って念願のタイトルを獲得。それでも「すべて出しつくしたけれど、これで納得したわけじゃない」。7月の世界選手権は「準備不足」と無差別級出場を辞退、100キロ級の連覇に集中するが「いずれは国際大会の無差別にも出たい」。進化を続ける若武者は、さらに強さを追い求め7月世界選手権での99年バーミンガム大会に続く100キロ級連覇に挑む。2001/05/03
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